BLOG 興聖寺座禅ブログ

お寺で「子どもを育てる」ということ

2018.4.6

私は現在における寺の役割を考えるにあたって、「人を育てる場・生きがいをもたらす場が寺である」という認識を持っております。まずはそこから話を始めさせていただきたいと思います。

寺という場において、はじめに考えなくてはいけないのは子供の存在です。子供はこれから将来を担っていく人たちであり、人を育てるという観点から見た場合に必ずなくてはならない存在だからです。それでは、寺は具体的に子供をどのように育てる場なのでしょうか。

人や自然への共感力を高める

子供たちにとっては「寺イコール遊び場」です。その発想に基づき、私は子供たちにこの遊び場を通じて感性を磨いていってほしいと考えています。
興聖寺は上京区内の堀川通に面しているところにあります。市内で子供が自然に接することができ、また安全に遊べる場所として、興聖寺は最適だと言えると思います。
興聖寺は畑や土いじりのできる場も多く、水場もあり、木や花も多い寺です。こういう自然の残った場所で、子供たちが土や水や木などに触れることで、遊びを通じて自然に対する感性を高めていってほしいと考えます。
私は自然に対する感性が高い人、優れた人は、人や自然に対し共鳴・共感できる能力の高い人という理解をしております。
このように考えたならば、寺の境内地という空間は、子供たちの共鳴・共感できる能力を磨き上げていける自然の遊び場と言えるのではないでしょうか。
では具体的にどのようなことが寺でできるかというと、
1. 畑で野菜を育てたり、竹の子を収穫するなど、子どもが土いじりを体験できる場所をつくる
2. 浅瀬で遊ばせてあげる
3. 一緒に花を植えて育てていく
4. 寺に集まる世界のアーティストと交流する機会をつくる
等々が考えられます。他にも子供たち自身が自ら遊びを考え出していって、創り上げていってほしいと思っております。

生きるための自立性・自主性を高める

次に子供たちには、自立的で自主性の高い人間に育っていってほしいとの思いがあります。
最近生活がどんどん便利になっているせいか、火を見たことがないという子もいるのではないでしょうか。ましてや蒔で風呂を焚く、飯を作る等、火を使って何かするということをやったことがない子は、どんどん増えているように感じます。
便利な環境により生活能力が低くなっていくのはしかたないことではありますが、子供たちの可能性を考えると、ちょっとしたきっかけで関心を持つだけで、自立性・自主性もすばらしいほどに伸びていくであろうと思われます。また、子供たちのそういった力を伸ばす上で、寺の果たす役割は大きいのではないでしょうか。
では寺として、子供たちの自立性・自主性を育てるために具体的にどのようなことができるかということですが、
1. 「自然に対する感性」の項でも述べましたが、食の最初の段階である野菜づくりをともに行い、収穫する
2. 寺で栽培・収穫した野菜をバーベキューなどを通して、子ども自身が料理して食べることができる機会をつくる
3. 蒔を使って風呂をたいて入る
そういったことを最初は半日ほどの体験からはじめ、徐々に時間を伸ばし、いずれは寺に泊って一緒に行うなどができたら良いのではないかと思います。
そして肝心なことは、それを子供たちだけにやらせるのではなく、和尚も一緒になってやっていくということです。禅宗の坊さんは修行時代も含めて、そういう自給自足のためのことをずっとやってきたわけですから、あとは子供たちと一緒になってやっていく、同化・一体化していくということが大切ではないかと思います。そうしていくうちに子供たちと寺との間に、深くて長いつきあいができあがっていくのではないでしょうか。
坐禅に関して言えば、小学生の子たちはまだそのような“行”のことをしなくても、遊びまくっていれば良いように思います。私の経験から言えば坐禅は中学生からで良く、坐禅に関心のある子は自然に坐禅をしていくものですので、その時はじめて、坐禅による感性の高め方、その方法論を教えていけたら良いと思っております。
そうして、その子たちが成長していった時に、他人の心の悩みや苦しみを自然に聞いて人に安心感を与えられる人間に育っていてほしいと願います。そういう人間のベースには、やはり人や自然に共鳴・共感する力があるということが言えるのではないでしょうか。
次回は高齢者が寺とどのようにか関わっていくのかという観点から、話を進めたいと思います。